今回は筆者が何故、組織文化にこだわるのか、自身の職務経験をとおして見てきたもの、感じたことなどについて、少し述べてみたいと思います。
他のブログにも少し書きましたが、筆者には2つの職務経験があります。ひとつは事業会社のマネージャー、もうひとつは経営コンサルティング会社のコンサルタントです。
事業会社は、旧セゾングループの西武百貨店で、約10年間在籍しました。私が入社した年は、日経新聞の大卒男子文系就職ランキングで、確か25位だったような記憶があります(もしかしたら19位だったかもしれませんが、いずれにせよ20位前後くらいでした)。女子は2位で、その後1位にという大変人気のある企業でした。もともと私は、小売業界を希望していたのではなく、音楽業界で音楽制作に携わることが一番の希望でした。旧セゾングループ(当時、西武流通グループ)内に音楽関係の会社があって内定をもらっていたのですが、就職解禁日の10月1日がたまたま空いていた上、第一希望のレコード会社が10月8日だったために、親会社の西武百貨店を受けて、そのままあれよあれよという間に内定が出て、所謂活動の拘束にあいました。その時に、自分の周りにいたその時点での内定者は、私のようなメディア・エンターテインメント系か、総合商社系、金融系のどれかを希望する者ばかりで、小売業を希望しているのは1人もいませんでした。そういうこともあってか、ほぼ誰もが癖のある奴ばかりというか、個性溢れた人間が多くいました。
こういった背景がある小売企業は、おそらく当時、何処にもなかったでしょう。Wikipediaなどには記載されていませんが、当時の西武百貨店は、婦人衣料と食品で会社全体の売上げのかなりの部分を占めていました。その食品は、私が入社する前の段階で、今でいうところのデパ地下のもっと進んだかたちのものがすでに出来上がっていて、次々と新しい商品やサービスを開発し展開していました。自身が勤めていた会社のことを、本人がいうのもなんですが、まさに変化し続ける革新的な会社であったわけです。ほかの百貨店や小売企業とは、社員のバックグランドなどがかなり異なっていたため(勿論、小売業第一希望の商人的?な者もいましたが)、他社とはかなり違ったことを、他社よりはるかに先駆けて行っていたのは当然といえば当然でした。
その西武百貨店の社内で、91年に西武百貨店白書なるものが配付され、その中では、企業は社会の公器、西武百は当たり前のことを当たり前のように全く出来ない駄目な会社ということでした。セゾングループで西洋環境開発という大赤字の会社を抱えていたこともあって、グループの基幹会社である西武百は、チェーンオペレーション手法を導入して、何処の店でも同じやり方をして効率的な運営により営業黒字を増やさなければならないといったようなことが書かれてあった記憶があります。残念ながら、当時の資料が一切手元にないため、裏覚えですが、そういった主旨のことであったと記憶しています。当時の自分にはかなり衝撃的な内容で、自分ももっと頑張らないといけないなどと真面目に思ったものですが、会社の具体的な打ち手が自分には見えず、またやり方自体もちょっとまずいんじゃないかなどと何となく感じていました。会社に対してそういうことを言ったりもしたのですが、まともな回答がなかったので、一念発起して会社を辞め、海外で勉強しようと思い、93年に退社しました。
西武百貨店はその後、紆余曲折があって、当時の面影など今は微塵も感じられず、消滅の可能性さえあるようです。何が、問題だったのでしょうか。
問題はほんとにいろいろあったと思いますが、少なくとも90年代前半に限っていえば、私にはやはり当時の会社のやり方(会社を変えようとするやり方)が社員のカラーに合わなかったというのが一番大きかったのだろうと思います。加えていえば、トップダウンで進めるのはいいとしても、社員の声にちゃんと向き合わなかったというのも問題だったでしょう。
Whatは良かったのかもしれませんが、Howがまったくダメだった。Whatは、方向を導出したり、課題を特定すること。Howは、方法論を構築したり、手順を作成したりするものです。Whatは経営陣や上級管理職に求められる能力で、Howは中間管理職に必要な能力です。仮に、方向は出せても課題特定が十分でなかったら、どうなるか。ましてや、やり方を適切に提示できなければ、取組みを始める前の段階でその取組みが成功しないのはほぼ見えているといっていいでしょう。ましてや、一般社員層の現場レベルが担うDoの業務遂行能力など、あったとしても発揮されるはずがありません。ちなみに筆者が考える理想的な組織というのは、ミドルがWhatを提示して、一般がHowを考えることです。実現させるのは、そう容易ではありませんが、実現の鍵は組織文化にあると思っています。
当時の西武百貨店は、社員の個性や技量、思いなどが、チェーンオペレーションを一気に導入して根付かせるといったものを受け入れられるような状態にはまったくなかった、むしろそういうものとは対極にあるような仕事の進め方、ものの考え方を、多くの者がしていました。
会社に仕組みが欠如していたのは事実ですが、チェーンオペレーションという仕組みを、西武百の組織文化を何ら顧みることなく、むしろ破壊していくようなやり方で、無理やり一気に展開しようとしたことが、最大の問題だったと私は思っています。それだけ、当時、時間がなかったという見方もできますが、結果だけを見ると、それが会社の瓦解を早めたといえるでしょう。
長くなってきましたので、続きは次回とさせていただきます。