「私が組織文化にこだわる理由」の2回目です。前回は、筆者が勤めていた事業会社(西武百貨店)での経験について述べました。今回は、外資系経営コンサルティング会社在籍時に、2つの全く異なる組織文化が融合することの難しさを肌で感じたことについて記述したいと思います。それは、PwCコンサルティングと日本IBMのシステムコンサルティング部門が統合して、IBMビジネスコンサルティングサービスという会社が設立された2002年からの数年間のことです。
筆者は2000年に、PwCコンサルティング(当時はプライスウォーターハウスクーパースのコンサルティング部門)に入社しました。02年7月に米国IBMコーポレーションが、ワールドワイドでPwCコンサルティングを買収し(在籍コンサルタント約5万人)、殆どの国ではIBMの中にPwCコンサルティングが取り込まれました。日本は、クライアント企業に日本IBMと競合する会社が何社かあったということもあり、IBMビジネスコンサルティングサービスという別会社を設立して、02年10月から事業展開を正式にスタートさせました。
PwCとIBMのカラーは、全く異なるものでした。当時のPwCはかなり自由闊達な空気感があり、私が入社した時点で、すでにフリーアドレス、ペーパーレスを実現させており、オフィスはまるでショールームのような感じでした。実際、毎日午前から夕方まで、いろいろな会社がひっきりなしに、オフィス見学に来ていました。組織もフラットで、経営トップの下に、役員からコンサルタント一人ひとりが、そして事務関係の一般社員に至るまで、全員が横一列に並んでいるかのような組織体でした。役員がいるスペースは、金魚鉢と呼ばれ、周囲からは丸見え、壁や扉などは一切ありません。いつでも、誰でも、そこへ入っていって、話ができるというような環境でした。
一方、日本IBMはというと、当時の組織は階層をどんどん作っていき、そのラインで仕事を処理していくというスタイルでした。ただ、整然と並べられた固定席で仕事をしている人たちに、すぐ隣りに座っている人のことを尋ねると、担当が違うからといって、こちらが少しくらい困っていようと一向にお構いなし、今、何をしているのか、休みかどうかさえもわからないし、関心もないといったような感じでしたし、全てがそうだったわけではありませんが、そういう雰囲気が私には感じられたものです。
目に見える部分・組織文化のレベル1でさえ、それだけ違うわけですから、レベル3の底流にある共有された暗黙の前提などは、違って当たり前のことだったでしょう。最初は、お互いがかなりぎくしゃくしていたのを今でも覚えています。柔軟な組織構造の下、率直なもの言いをするPwCは、プロジェクトベースで活動するコンサルタントの集団です。一方、巨大な組織で、一見すると硬直化して物事をハッキリ言わないように感じられる日本IBMの人たち。そこの一部門と経営統合して、IBMになったわけですから(IBMビジネスコンサルティングサービス、所謂IBCSという会社であっても、結局はIBMer)、それが嫌で辞めていったコンサルタントは数多くいましたし、半ばノイローゼや病気になったりして、退社せざるをえなくなった人もいました。
文化と組織特性2つのアプローチで触れましたが(⑤組織文化と競争優位iv 文化と組織特性2つのアプローチ上、同下)、キャメロンとクインの競合価値観フレームワークに従えば、コンサルティング会社における組織文化の類型は、アドホクラシー(時々の状況に合わせて柔軟に対応する姿勢またはそのような主義)です。専門知識を持った個々のコンサルタントは、個人が尊重され、将来に向けてリスクをとっていくことが奨励される傾向があります(まさにそのとおり!)。そういった人間が多数を占める組織であるため、ある程度は自然淘汰的に、IBCSという新しい組織が成立していったという側面はありました。
統合にあたって考慮されたことは、主に次の5つだったと記憶しています。第一に、新しい会社として、顧客への価値創造を優先させること。第二に、組織・人事管理・知識において統合を早急に実現し、新しい組織として、One Teamを具体的に実現させること。第三に、意思決定と行動は素早く行うこと。何よりスピードを重視する。第四に、両社いずれかに片寄らせるのではなく、ベストプラクティスに寄せていくこと。第五に、両社それぞれの文化のよいところを持って、新しい会社を補強していくこと。なお、両社の統合は、PMO(Program Management Office)によって課題を管理し、明確な目的意識の下、客観性を持たせたコントロールが行えるようにしていました。当時の新会社、IBCSは経営陣を中心に、世界最強のコンサルティング会社を創るという強い思いで、統合作業が進められました。統合作業自体は、数ヵ月程度だったように思いますが、組織文化が融合し、新たな文化が醸成されるには、3~4年くらいはかかっただろうと思います。07年くらいに、IBCSと日本IBMが、結構、円滑に協業できるようになっていったという記憶があります。
筆者はIBCSのコンサルタントではありましたが、ほぼ自由に、日本IBMの研究所に出入りできたり、いつでも日本IBMの営業と連携して一緒に行動でき、そういう意味でも事実上、IBMの一員だったと思います。統合当初は、上述した両社の組織構造や、行動様式の違いばかりに目がいき、PwCの一員からすれば、日本IBMってどういう会社なんだとネガティブに捉えた時期もありました。ただ、時間の経過と共に、その気持ちは大きく変わっていきました。そして最後には、当初自分がやりたかったことがほぼ全てできたため、08年にIBCSを退社し、他社へ移ることにしました。退社する頃になると、自分がIBMから学んだことは本当にたくさんあったと思うようになり、PwCではなく、IBMに在籍できたことは、自分の職業人生において、本当に良かったと思うようになったことと併せて、IBMという会社の奥深さを実感するようになっていました。
IBCSの一番の強みは、理論と実践が融合していたことだと思います。たとえば、製品開発などで立証済のIBMの成果を方法論として体系化し、それをコンサルティングサービスのひとつのメニューに加えていくといったことができたことです。これは、ふつうの経営コンサルティング会社にはできません。
ただ、IBM全体のすごさを、一言でまとめるならば、筆者は、そこで働く人の多様性、ひいては組織文化の奥深さにあったと思っています。見た目とは違って(?)我慢して(?)在籍していると、意外とかなり自由な空気感・環境があって、話し合いをとおして物事を決めていけるような素地がある程度整っていたように思います。勿論、話が通じない人も社内にはいましたが、そういう時には同僚を巻き込んだり、エスカレーションするなどして、最後はどうにかうまく決着できる、そういうことが出来た会社でした。こういう会社は、ありそうでそうなかなかないだろうと思います。
実際、当時のIBMには(おそらく今でもそうだろうとは思いますが)、Read、Listen、Observe、Discuss、Thinkという5つの大きな指針があり、それが米国本社に刻まれていると聞きました。この思考・行動様式の共有のもととなる指針を、外からやってきたプロパー社員ではない私がそれを空気で感じ、後になってから、そういった指針があることに気づいたわけですから、組織における指針の浸透に驚かずにいられません。
当時、IBCS/IBMでは、よく次のようなことが言われていました。IBMにではなく、お客様企業にフォーカスして、お客様の立場で、お客様の成功に全力を尽くす。あらゆる関係において信頼と一人ひとりが責任をもって価値あるイノベーションを創出していく。こういったことをClient Valueと呼んでいました。その顧客価値の根底にあるものは、チャールズ・ダーヴィンの「最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるわけでもない。唯一、生き残るのは、変化できる者である」ということではなかったのだろうかと思います。