日本は随分前から、世界一厳しい市場とか、他先進国と違って効率性よりも、おもてなしを重視する世界一シビアな国などといわれてきました。お客様は神様という言葉は今でも生きているばかりか、なお一層強まっているように筆者は感じます。
1960年代後半くらいから言われ始めた1億総中流時代、実際に存在していたかどうかはともかく、意識としては間違いなく信じられていたといえるでしょう。では今日はどうかというと、この1億総中流時代はとっくに終わっていると筆者は思いますし、そのように思っている人も多いはずです。それどころか、むしろ1億総中流などというものは、もともと無かったのではないかと言えるかもしれません。
筆者は人生の大半を都会で暮らしてきましたが、3年近く前にオフィスを東京に残したまま、地方へ移住しました。地元で採れた新鮮な野菜や果物、天然が半ば当たり前になっている魚など、筆者と家族にはうれしいことがたくさんあって、それは田舎で暮らす者にとっては、当たり前の日常的な光景です。
その一方で、東京の中央区日本橋や目黒区祐天寺で暮らしていた頃のマンション住人やその地で生まれ育った人々の間では、決して見られなかった消費行動をとる人たちが、田舎にはかなりの割合で存在しています。自分自身を実態とはかけ離れてよく見せようとしている人たち、平たく言えば、(極端な?)いい格好しいがたくさんいて、それは男女を問いません。個人的な印象では、それは20代から30代に特に多く、40代以上でも一定数存在しています。
そういった消費行動は、いろいろな場面で見れるのですが、その典型は、(世帯主ではなく)世帯収入の2倍から3倍、なかには5倍以上の車に乗っているという現象です。そうするために、躊躇なく残価設定ローンで車を購入(というか、所有権は基本的に自動車メーカーか信販会社にあるため、厳密にいえば購入ではない)しています。2人からせいぜい5人くらいの家族なのに、バカでかいアルファードやヴェルファイア、或いは大型のレクサスや欧州の特別大きなSUVに乗っていて、その数は日毎に増えているように感じます。
こういった現象は、筆者には到底理解できるものではありません。仕事も含め、何かに熱中して取り組むことがないのか、自分を表現することがほかに何もないのか、ただ優越感に浸りたいのか、よくわかりませんが、あまりにもそういう人たちが多すぎることに愕然とします。
このような例はほかにも幾つか挙げられます。たとえば、地方にある百貨店の化粧品売場へ行くと、ポイントの還元率が高い時などは、若いというか幼すぎるくらいに見えるような女性たちでごった返しています、特にクリスチャンディオールの前などは人が群がっているという感じです。
若いころの通過点としてみれば、それはそれでよいのかもしれませんが、問題はその人たちの服装や持ち歩いているバッグ、身につけているアクセサリーです。何故、そこまで貧相に(と言えば失礼ですが)、または場違いのように見える格好なのか・・・。化粧も含め、ファッションはトータルコーディネートです。1点だけ、豪華なんてものはありえないと筆者は思います。そういった女性たちは、だいたいルージュ系の口紅を1本買って、ディオールの袋に入れてもらっています(ネット上では、その無料の袋にプレミア価格がついて売られたりしています・・・)。男女のカップルで来ている人たちには申し訳ないですが、男のいでたちがもっさすぎる・・・。せめて、もう少しきれいな格好で来れないものかなどと、60代の筆者は思ってしまいます。
都会でも、このようなことは形をかえて存在します。顕著なのが、百貨店の食品売場で、それは生鮮の鶏肉売場などへ行くとよくわかります。鶏肉は、価格の高い順でいうと、地鶏、銘柄鶏、地養鶏、若鶏(ブロイラー)で、地鶏が仮に売場の冷蔵ケースに向かって一番左側に陳列していれば、若鶏は一番右側になるのが普通です。左側で鶏肉を買う人が出す百貨店カードはふつうのシルバーカード、右側の人のカードはゴールドカードです。しかも、ゴールドカードの人が買う量は、ほんの少しの若鶏だけです。筆者などは、わざわざ並んでまでして、ここで買わなくてもいいのにと思ってしまうのですが、店頭で接客対応している販売員は、そういったことには手慣れたものです。消費者行動の実態の一端を知りたければ、店頭販売員の人たちに尋ねればすぐにわかります。
このようにみると、大都市も地方もそう変わりないじゃないか、程度の差だけだろうということになるのかもしれませんが、都会で若鶏を買う人が都会に暮らしてるとは限りません。
このようないびつでアンバランスな消費行動は、日本特有のものだと筆者は随分前から強く感じるようになりました。欧米ではこういった消費行動はまったくないなどとはいえないでしょうが、日本では異常なまでに多いのは事実です。
ご存知の方も少なくないだろうと思いますが、米国だと、車がその人の社会的ステータスを表すと今でも言われています。欧州であれば、たとえばルイヴィトンのバッグ、日本で1970年から80年代に大流行しました。ヴィトンのバックは大きなものになるとかなり重たかったものですが、本国フランスでは、その重さをバッグの所有者は誰も厭いません。何故なら、そのバッグはサーバント(召使)が持ち運ぶからです。欧米では身分や立場によって、ファッションはまったく異なります。だからといって、たとえば米国で労働者階級の人たちが、窮屈に暮らしているかというと、全然そうではなく、逆に人生をエンジョイしているように見受けられました。米国で約7年間暮らした筆者の率直な感想です。
少し長くなってきましたので、続きは次回とさせていただきます。