ソロ活は、飲食、旅行、ドライブ、スポーツ・レジャー、読書、美術、映画、音楽、演劇、ショッピング、エステ関連などの分野にあると言われています。まあ何でもソロ活にできるのかもしれませんが、これらの活動には、モノの消費というよりは、コト消費の面が強いのは明らかです。自分へのご褒美というのは随分前から言われていますが、ふだんと少し違う環境に自分をおいたり、いつもと同じ暮らしの中でわずかでも変化が感じられる体験をするといったことなど、そういった要素が盛り込まれていて、たとえ束の間でも自分だけのために時間を使うことができるといったことがポイントになるのだろうと思います。
人はモノやサービスに接する際、あまり考えずに買ってしまうことが時々あります。それはモノやサービスを提供する側が、購入者の感情に訴えかけるマーケティングを行っていることがあるためです。人の感情への訴えかけを強めるマーケティングを、エモーショナルマーケティング(または感情マーケティング)といい、筆者が知る限り、21世紀になる少し前くらいから、この名称で存在しています。ただ、筆者には、今と昔では、感情や感性、感受性といったものは、かなり違うものになってしまったように感じています。今の方々には、少し申し訳ないのですが、昭和の時代のほうが、多くのことに対してもっとおおらかで、豊かな感性と繊細な感受性がそこにはあったと思います。
人の感情、なかでも欲求(ウォンツ)に訴えかけて刺激するエモーショナルマーケティングは、ウェブやSNSなどが人々の生活に深く入り込んだ今日の消費社会において、必須のマーケティング手法になっています。パッケージデザイン、キャラクター、広告のキャッチコピーなどで感情へ訴えかけるとことは、今日、至るところで見ることができます。
ただ、たとえばホームページを美しく、おしゃれに整えるのは事業規模の大小問わず大半の会社がやっていることですが、中身が伴っているかどうかは、あまり問われることはないようです。こういった現象は、企業規模が小さくなればなるほど、また、人口流出が止まらないような地方自治体ほど、多く散見されるように筆者は思います。
周りがやれば自らもすぐさま倣うというのは、まさに日本の特殊性といっていいでしょう。同じであればあるほど、ほかとの違いが分からず、人々の検討対象にならない、所謂考慮集合に入らなくなるにも関わらず、まるで競い合うように同じようなものにする、真似をして没個性化していくというのは本当にいただけません。
こういった社会では、つまるところはじめに(稚拙なレベルで)好きとか嫌いとか、他人の目から見て格好いいとか悪いといった感情が来ることになります。考える、思考するというのは、感情の後に来る。もしくは、感情の後は行動があって、最後に思考が来るのかもしれません(もしくは思考するというのは存在しない・・・)。思考がまともに行われないということは、多くの場合、他者に分かるように説明できないことになります。仮に、自分のとった行動が説明のつかないものであったとしても、無理やりでも(?)コミュニケーションで正当化するような欧米のスタイルとは異なります。
ちょうど2年程前にこのReflectionsのブログ(論理的思考(2) 論理的思考とは①)で、常に感情が先行していると、正しい判断や、そもそものところで正しいものの見方などできるはずがなく、はじめに感情が来て、その後、一気に結論・決定になることが多いと書きました。わずか2年しか経っていませんが、この間でも、感情で判断し行動する消費は一段と進んでいるように思いますし、多くの事業体もそれに倣うかのように、感情で判断して決定することが増えているように感じます。成功しているかどうかではなく、あそこでもやったからうちでもやってもらおうといった事例志向もこの一種です。
筆者は20年程前に担当したファッションアパレル系メーカーのプロジェクトで、外向的に自己を実現させようとする「なりたい自分」と、内在的な自己実現として「ありたい自分」というものをつくり、当時の消費者を27のタイプに分類したことがあります。その頃は、なりたい自分になるため、ありたい自分でいるために、少なからず努力する人々が相当程度いたと思います。ところが、今日の消費社会では、それはかなり異なるものとなってしまい、できもしないことや到底すべきでないこと(或いは、それをやっても何にもならない意味のないこと)をやって、なりたい自分になる、そのように見せるということが珍しくないと感じています。ソロに限ったことではありませんが、たとえば特に地方で顕著に見られる現象のひとつに、自分の年収の何倍もする車を残価設定で購入する(但し所有権はその消費者にはない)人たちがその典型だといえるでしょう。
ロシターとパーシーの3段階手法におけるX-YZモデル(ブランディング (5)ポジショニング ⑤3段階手法ii X-YZモデルその2)で、購買動機が社会的承認にあたる商品の場合は、ベネフィットに基づいてポジショニングするのではなく、消費者をポジショニングするほうが効果的だと述べました。
この社会的承認を少し拡大解釈することになるかもしれませんが、高級車に乗る人は、他者から、相応の生活力があって豊かな暮らしをしている、社会的ステータスが高い、人生(?)に成功している人、といったように見てもらいたい、そう評価して欲しいから、または、そう思われている人たちの仲間入りをしたい、こういったものが購入の動機にあるのでしょう。成功したから、高級車に乗るというのではないのです。実際の暮らしぶりは、まったくその逆であっても、そんなことは一見すれば分からないから(といっても、分かってしまうことが多いのですが・・・)構うことはありません。こういった姿や場の空気感といったものは、筆者にはまさに特殊な日本のあり様として映ります。このような社会的承認に対する欲求というのは男女で違いはありますが、自分を無理に肯定するかのような消費行動と、それを狙ったブランディングも、日本市場の特殊性といえると筆者は思います。