日本の市場はガラパゴス化していると言われてきました。欧米のような市場と比べて、製品の仕様・技術、サービスに対する日本人の要求が大きく異なるため、商品全般が独自の進化、たとえば過剰なまでの高機能化を遂げたため、そのように言われています。その代表格が以前は携帯電話の端末で、販売は国内のみで、輸出はほぼゼロでした。ちなみに、ガラパゴスは太平洋の赤道下にあるエクアドル領の島々を指し、独自の生態系で進化した生物がたくさんいるとされていますが、哺乳類は存在しないそうです。
21世紀初頭くらいまでなら、たとえば日本の電機メーカー数社が、国内で製品の機能やデザイン、或いは価格などで熾烈な競争を繰り広げていても、国内の市場規模が米国に次いで世界第2位であったため、ガラパゴスを徹底して追求することでも生存できたわけです。ところが国内人口の減少、可処分所得の低下などによる市場の縮減とそれに応じた売上げの伸び悩みや成長の鈍化、また、欧米企業のM&Aによる超巨大化、米国の新しいITジャイアントと中国企業の台頭、事業の統廃合や企業再編による国内事業者の巨大化等々によって、ガラパゴスではもはや生き残ることができなくなりました。
とはいえ、全ての国内産業がそうかというと、そういうわけではありません。たとえば、機械ものと違って、地域に根差した様々な食の数々、これを作る多くの中小規模の食品メーカーは、規模を拡大することが、資金面での問題ではなく、自らのあり方を否定することにつながる場合もあるために、無理な成長を志向することはありません。日本国内の多様な食の嗜好に基づき(或いは自らもそれを創り出して)、商品の特殊性や独自性を追求することで事業を成立させることができました。
こう考えると、日本市場の特殊性は悪いことばかりではなく、日本固有の良さや伝統を活かした事業などは、ある意味ガラパゴス的な生き方を成立させることができると言えるのではないでしょうか。
ガラパゴス的なものをローカル志向(またはナショナル志向)、世界標準的なものをグローバル志向とすれば、どちらを選択するかは企業次第です。一律、グローバルとか、グローバリゼーションというのはありえません。
それでは日本の消費者はどうなるのかというと、欧米では当たり前とされている確立された個人の価値観、それはたとえば「自分はこう考える」「何故なら、〇〇だから」「故に、このように行動する(行動している)」といった思考と行動を、グローバル、ローカル問わずもっと行っていくべきです。他者の目を軽視するわけではありませんが、令和の今は、他者の評価が介入しすぎです。
最後に、電気自動車のことについて、少し触れて終わりにしたいと思います。米国ロサンゼルスのことですが、ロス警察が2020年くらいに警察車両を全て電気自動車に切り替える政策を進めていました。ですが、それは実現できなかった。1回の充電で警察車両は100km走行できたそうですが、ハイウェイは渋滞が常態化しているためすぐに電気が目減りし60kmくらいしか走れない。また、音がでないため現場へ急行する途中で、一般人が警察車両に気づかず、飛び出してきたりして警察がその人をひき殺してしまうなど、警察本来の機能が果せなくなるリスクが著しく高まり、大きな問題となりました。そのため、ガソリン車の電気自動車への変更は中止となり、今は鑑識が犯行現場への検証のためだけに使われているそうです。
日本はどうでしょうか。とてつもなく長い時間をかけて物事を決めて、いったん決めたら、それが不適なものであったとしても、とりやめることなく、全てがなし崩しで進んでしまう。こういったことでは、本来、グローバル志向などできるはずがありません。ローカルの方はどうでしょうか。ローカルの良い点を活かして、小さく生きていくというのはありではないでしょうか。何のためのグローバルなのか、何のために消費するのかを、再考すべき時がしばらく前から来ていると筆者は強く感じています。