3/13/2023

問題解決力 (2)問題とアプローチを考える ③思考の罠iv

前回(思考の罠iii)は、問題の根源を取り除こうとせずに、現象や一時的に発生した問題だけに対処するのは、覚知の限界がおこるためと述べました。覚知とは、「さとり知ること」と広辞苑には記されています。覚知の限界とは、M.H.ベイザーマンとD.A.ムーアの「行動意思決定論」によると、様々な領域に及んでいて、次のようなものがあるとしています。

①明白な情報への非注意性盲目

②自分を取り巻く環境の中の明白な変化の見落とし

③目の前の問題の一部だけに注意を集中する傾向

④集団における覚知の限界

⑤戦略的意思決定における覚知の限界

⑥オークションにおける覚知の限界

なお、ここでは①から④までを取り上げます(今回の「現象や一時的に発生した問題だけに対処する」理由として、覚知の限界を挙げているため)

①については、眼前で起こっていることであっても、自分がほかに探しているものがあれば、なかなか見えてこないということを指しています。Simon & Chabris (1999) の実験では、Neisser (1979) の2チームに分かれバスケットボールでパス回しを行った実験を発展させ、パスの最中にゴリラの恰好をした人が、プレーしている選手の間を歩き、おどけたポーズを5秒間したにも関わらず、多くの人がそれを見落としたという結果を得ました。

こういった類いのものは、数多くの実験で証明されているとのことで、今世紀はじめくらいから「非注意性盲目」として知られるようになりました。働く場においても、利用可能な様々な情報を簡単に見落としてしまい、自分の周囲にいる者から、直接話を聞いたとしても、相手が何か思い違いをしているのではないかと考えてしまう、そういったことがあるのを示しているといえるのではないでしょうか。

②については、「変化盲」として知られています。視覚に関する多数の研究から導き出されることのひとつに、変化がゆっくり起こっていることに対して、人はそれを認識することが不得手であり、見落としてしまいがちだということです。所謂、茹で蛙状態のことをイメージすれば、分かりやすいだろうと思います。

「滑りやすい坂(Slippery Slope)」理論(または「滑り坂」理論)によると、一つのことを容認すれば、なし崩し的に対象が広がったり、定義が拡大解釈されたりして、最終的に取り返しのつかないことになるといいます。

決められたことや倫理的価値などに対して、突然何の断りもなく破棄したり、前触れなく一斉に無視をしたり、或いは初めから大きく逸脱するといったことは、あまりないといえるでしょう。実際、そのようなことが自分の身の回りで起これば、その変化に気づくだろうと考えるのが普通ではないかと思います。また、いきなり最初から、目立つようなことをする人は稀なはずです。ですので、その坂は滑りやすいとはいえないでしょう。

ですが、ほんの少しだけなら、またはわかるかわからないくらいの感じでゆっくり外し始めたら、どうでしょうか。幾つかの小さな動きによって、徐々に、ゆっくりと変化していけば、仮に、それが自社の倫理基準などから外れていたとしても、その時の自分や周囲などが置かれている状況に照し合せて、受け入れてしまうことになる(もしくは、受け入れてしまうこともある)といえるのではないでしょうか。

③については、焦点化の錯覚」として知られています。焦点化とは、ある一つのことに注意を集中していると、そのほかのことについては注意を払わない傾向があることを示しています。焦点化の錯覚とは、今見ているものや考えていることについて、過剰に評価する行為(思考)をいいます。

Schkade & Kahneman (1998)は、人が判断する際は、利用可能な一部の情報しか用いず、且つその情報を過度に重視する一方で、注意をしていない情報に対しては、軽視しすぎる傾向があるとして、これを「焦点化の錯覚(focusing illusion)」と定義しました。また、Gilbert & Wilson (2000) ほかによると、「焦点化が起きれば、焦点事象が占める割合と、焦点事象への自分の感情的反応の接続時間の両方を過大評価する傾向がある」としています。

このことはプロジェクトの進行や成否と、それが自分の心にもたらすポジティブ或いはネガティブな影響を過度に評価することについても適用できると思います。たとえば、コミュニケーション高度化の取組みが、自身に与える影響について、たとえば、新しいコミュニケーションのツールを習得しなければならない。いつでもどこでも上長や部下などとコミュニケーションを頻繁にとっていかなければならなくなり、それもできる限り効率よく且つ効果的にしなければいけない。それがまた自身の評価にもつながるし、自分もそのように部下を評価しなければいけなくなる。コミュニケーションをうまくしようとすれば対面でもそんなにたやすくないことがあるにも関わらず、オンラインともなればある意味手間もかかるし、面倒なことばかりが増える。結果的に、本来自分がしなければいけないことができなくなってしまう等々、こういったことを過剰に考えすぎて、最終的に正しい判断ができなくなってしまう。

本来であれば、高度化の実現により、自身が今まで取組めなかったことに着手できたり、新しい知識やスキルの習得により、自分の大きな成長につなげる契機にできるかもしれないなど、肯定的な側面のほうが多いはずにも関わらず、「目の前の問題の一部だけに注意を集中する」ことによって、本来考えるべきことが考えられなくなってしまう。そしてその結果として、大きな機会逸失が、個人にも企業にも発生し、組織の老化が進んでいくのだろうと思います。

変化することを嫌ったり、避けたりする人が少なくないですが、変化することこそが自身の成長、少なくとも生き残っていける可能性を手にすることができると思います(或いは、生き残っていける資格を手に入れられるかもしれない)。ましてや、世の中が変化しているわけですから、前提として企業や自分自身も変化しなければいけないはずですが、残念なことに、多くの?ビジネスパーソンはそのようには考えないようです。④については、次回で述べたいと思います。


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市場特性は、様々な要因に左右されます( ブランディング (4)ターゲティング ①セグメントの評価項目 )。 規模と成長率だけを考慮すればいいというわけでは決してありません。 大規模で右肩上がりに成長を続けるセグメントが有望であることは事実ですが、それ以外の要因が同じであることはめ...